雑学研究

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中国文学

唐の文学
 唐の290年(618-907)は、中国史でもっとも光輝に満ちた時代だとされる。 特に626年から741年は内政でも外交でも国威を振るう極盛時代であった。 均田制によって農業生産が発展し、 租庸調などの税金の低下によって産物の交流が活発化し、 都の長安は人口100万人の世界最大の都市であった。 しかし、政治的に安定していたのは安禄山の乱(755)までで、 それ以後は六朝以来の名家から中小地主の士大夫中心の世の中となり、 異民族に脅かされる時代となった。
 唐の時代には作詩人口・鑑賞人口の増加や官吏登用試験に詩の追加されたことから、 詩が隆昌した。 また、古詩に代わり近体詩が確立し、李白や杜甫などの中国を代表する詩人が登場した。

初唐の文学 (618-709)
 高祖から玄宗までの詩は六朝の華麗な作風を継承しつつ、唐の剛健な気象が混じり始めてくる。 詩形では絶句と律詩が完成し、七言詩が多く作られた。 絶句は四句から成り、一句五言の五言絶句と一句七言の七言絶句とがあり、 提示・継承・転換・結末、すなわち、起承転結の構成を形成する。 律詩は八句から成り、一句五言の五言律詩と一句七言の七言律詩とがあり、 韻律と対句の関係を重視した詩形である。 五言は2字・3字、七言は4字・3字に分解される。

盛唐の文学 (710-765)
 玄宗の治世は極唐から動乱時代へ下降する時期である。 玄宗は28歳で即位した当時は改革の意欲に溢れ、贅沢の禁止、僧侶・官吏の削減、 逃戸・土地兼併の問題の解決、徴兵制から募兵制への変更などで人民生活の安定に力を注ぐ 精励な天子であった。 だが、736年に李林甫が宰相となって以来、風流天子に一変した。 杜甫の「哀江頭」や白居易の「長恨歌」など、 玄宗と楊貴妃(719-756)の恋愛悲劇を題材にした作品は数多い。
 玄宗が政治から遊離した頃から社会的な問題も増大した。 貧民が増えて不安がつのり、貴族官僚と新興地主官僚とが対立した。 貴族出身の李林甫は節度使と結んだ。 楊貴妃の族兄の楊国忠は李林甫の死後に宰相となったが、 節度使の中で有力者の安録山と対立し、755年に安録山は挙兵した。 翌年、楊貴妃は玄宗と四川に逃れる途中で親衛隊の反乱によって殺される。

李白 (701-762)
 李白は上昇期の唐を代表する浪漫主義者。 特徴として理想主義、叛逆精神、英雄主義、誇張と擬人化を挙げられる。
 一生は、幼少から詩文を作る一方、剣術に凝って何人も人を斬り、湯水のように財を散じた。 25歳まで故郷四川で過ごし、42歳まで各地を周遊し、 44歳まで長安で玄宗に仕え、56歳まで周遊し、 永王軍が敗戦して投獄された後、旅先で生涯を終える。

杜甫 (712-770)
 杜甫は下降期の唐を代表する現実主義者。 特徴として、人道主義、深刻な認識と高度な概括能力、脈動的な形象、叙事と抒情の融合が挙げられる。
 一生は、20歳まで洛陽の名士の屋敷に出入りし、詩人として知られ、 35歳まで周遊し、40歳で集賢院の侍制になり、 48歳で官を棄てて成都で浣花草堂を建て、59歳に旅先で生涯を終える。

中唐の文学 (766-835)
 現実に目覚めた詩人が外界の事物に関心を寄せ、賦的傾向が高まり、 叙事的作品が目立ってくる。 叙事舗陳を徹底すれば詩の領域から離脱せざるをえなくなり、 小説や戯曲が興隆する契機となる。

韓愈 (768-824)
 唐の四大詩人(李白、杜甫、韓愈、白居易)、唐の二大作家(韓愈、柳宗元)。 また、道学の先声として朱子学に影響を与えた。

柳宗元 (773-819)
 古典の合理主義思想の根拠を探り、現実の解釈に応用。

白居易 (772-846)
 社会の現実からの題材を平易な表現方法で描いた諷喩詩を基調とし、 3840首の詩文が現存している。
 日本では平安時代に5つの理由から好まれた。 (1)平易な作風(日本人にわかりやすい)、 (2)低い階層からの昇進という生涯、 (3)『白氏文集』が広範囲の詩文を取り上げているため、百科事典的である、 (4)日本の詩歌と同様に主題として雪月花が多い、 (5)仏教信者で、もののあわれを詠う。

晩唐の文学 (836-906)
 退廃的な国威を象徴して繊細で耽美的な作風が主流となる。
 李商隠(813-858)は、真意を韜晦するために象徴的な手法を用いたり、 典故や故事来歴を多用した難解な表現に特徴がある。

小説
 短編小説が発達した背景には、文化の爛熟、 中小地主層の発言権の増大による市民的意識の芽生え、 仏教の説話的講釈「変文」の受容、 仕官の道を閉ざされた士大夫が小説を通じて不平不満を慰めること などがある。
 恋愛小説では玄宗と楊貴妃を描いた「長恨歌伝」(陳鴻)、 妓女と青年との純愛を描いた「李娃伝」(行簡)、 怪異小説では栄華の空しさを描いた「枕中記」(沈既済)、 竜女物語の「柳毅伝」(李朝威)、 仏教文学系では「維摩詰経変文」「大目乾連冥間救母変文」、 歴史故事系では「伍子胥変文」、 民間伝説系では「秋胡変文」「孟姜女変文」などがある。


 詞と詩は同じ漢音で区別しづらいので、現代では「詞(ツー)」と読む。 詞は絶句の単調さを棄て、楽府の長短句の形式を踏み、 当時の音楽の影響の下に詩の新しいジャンルとして登場した。
 李Uは前期に宮廷の享楽生活を、後期に悲傷性を心理描写と比喩を巧みに詠じた。